PR |
|
↓マンデルソン大臣は、先月26日に中国産乳製品の安全性をアピールするために、メディアの前で自ら牛乳を飲んで見せたのだが... → 6日朝病院に救急搬送された。
...って、いったい(^^;)
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/10/html/d39639.html
続き(これで最後(笑))
ところで、私は以前に「機関投資家の運用の概略について知っておくとよい」と書きました。 それは個人投資家の方が単に運用に関する初歩的な知識がないと、しなくても良い誤解をしてしまうことがあるからです。
ここに個人投資家のあいだで人気の(あるいは人気があった)ある売買手法があります。 そして、それに関してしばらく前からこんなことが言われています。 「○○さんが書籍に書いたから(△△さんが、ブログなどで書いたから)、多くの人が使うようになって、この手法は通用しなくなった。」 「相場つきが××になったから、機能しない。」 「それに関する商材がたくさん出回ったから、儲からなくなった」
これらは全部誤解です。 なぜなら、その手法の本質的な有効性は以前から全く変わってはいないからです。 私のモデルによるバックテストの損益曲線を描くと、まるでモノサシで線を引いたように、その手法は以前も今も同じように機能しています。 ではなぜ個人投資家の間で上記のような誤解が生じたのでしょう? それは、私が見たところ、巷に流布しているデフォルトのルールにはある処理が欠けているからなのです。 そしてその処理は特殊なものではありません。 機関投資家であれば当たり前のように自然に誰でもそうするような簡単な処理です。(ちなみに、これは決して個人投資家をバカにしているわけではありませんので、念のため)
しかし考えてみれば、そういったことは個人投資家であれば、証券アナリストの資格試験の勉強をした人や、データマイニングの技術をもった人でもなければ、自然に任せていればなかなか気付かないことなのです。 これは「経験を積めばわかる」とか「見て覚える」とかいった類のものではありません。 逆に「知ったらしまい」の簡単なことです。
だから、個人投資家である我々は自分自身で能動的にそれらに関して勉強したほうが絶対によいのです。 このように、マーケットを動かしている主体、例えば機関投資家の運用について簡単にでも把握しておくことは、そこでトレードする人間であれば個人投資家であっても不可欠な事項なのです。 「そんな必要はない、なぜなら真実は単純だからだ」とか「機関投資家の運用は下手だから考慮する必要はない」などというのは、せっかく楽して儲かるチャンスをみすみす見捨てていることになりかねないのです。
ところで、そういったことが一般向けに解説される機会は普段はほとんどありません。 それはネット上でも非常に限られています。 なぜなら、まず①機関投資家の人間はほとんどネット上に出てこない、それに出てくる場合でも、②本人にとってはそれは当たり前のことで、それに価値があることだとは全く認識していないからです。 さらに、③そんなことを書いても一般投資家には非常につまらないがゆえに全く反応がなく、そのうちあえて誰も書こうとしなくなってしまうからです。
また、たまに熱心に書いてあるサイトやブログがあったかと思うと、おそらく一般の人には書いてある内容が理解できないせいでしょうか、とんでもない言いがかりや中傷にさらされていることが多々見受けられます。 これまでにも多くの貴重なブログが閉鎖されたり、掲示板が非公開になったりするのを見てきました。 きっと「理解できない → だからそれは間違っている」という理屈によって攻撃されたのでしょう。 これでは志ある人も次第にゲンナリしてネット社会を去ってしまうのもしかたがありません。
ところで「機関投資家の運用能力は個人投資家よりも実は低い」という物言いをする人がいます。 それは一部の個人投資家、とくに何も知らない初心者にとってはある種心地よく聞こえるのかもしれません。 しかし、それは完全に間違っています。 もともとも目的も与えられている条件も違うもの同士を比較すること自体変なのですが、仮に「絶対リターンを稼ぎ出す能力」だけに特化して、まったく拘束条件ナシに両者を戦わせたならば、個人投資家は機関投資家に絶対にかないません。 絶対に絶対にです。
ただ、「技術の高い個人投資家の運用能力は、平均的な機関投資家を凌駕している」ことは真実ですし、現実問題として、機関投資家において絶対リターンを目的とした運用が少数派である以上、みかけの運用能力が低いように見えるということがあるだけなのです。
そしてどうしても知っておく必要があることに絞れば、機関投資家の一般的な運用の考え方について知っておくべきことは実はそれほど多くはないのです。 もちろん拘ればきりがありませんが、手始めに先日挙げた書籍や、以前にも推奨した「金融マーケット予測ハンドブック」などの定番の教科書を何冊か読んでおけばとりあえずはよいでしょう。
その意味では、相場にかける時間の一部を割いて、アカデミックな勉強をすることはとても意味のあることなのです。 最初はとてもつまらなく思えるでしょうが、必ずその労力は報われると思います。 その努力を払った人だけが、他の人が絶対に超えることのできなかった壁をやすやすと超えることができるのです。 学校の勉強も頑張ってください。 >関戸君
F1の日本グランプリが始まった。 昨年に引き続き富士スピードウェイでの開催である。 日本におけるF1グランプリはホンダが中心になって20年ほど前に誘致し大事に育ててきたイベントである。 当時マニアでなければ見向きもしなかったF1を日本に呼んだホンダには志があったし、それを日本のモータースポーツファンは理解し意気に感じてもいた。 そして一昨年まで開催はずっと鈴鹿サーキットであった。 F1とホンダ、そして日本のモータースポーツファンとの幸せな関係は20年ほど続いていたが、それを冠モノイベントが欲しいトヨタが強引に奪って、去年から富士で開催しているのである。
既に多くの方がご存知のとおり、トヨタが主導した去年のF1グランプリは大失敗であった。 何万円ものチケットを購入した人たちの多くが、入場できなかったり、入場できても観覧席(?)からレースがまったく見られない状態に置かれたのだ。 しかも、かろうじて入場できた人も今度はサーキットから出場するまでに降りしきる雨の中を何時間も立ったまま待たされたのだ。 病人もたくさん出て、悲惨な状態であった。 もちろん数え切れないほど多くのクレームが寄せられたが、関係者のほとんどは知らぬ顔を決め込んで無視したという(怒)。
これだけの大失敗をしておきながら、この事実はマスコミではまったくと言っていいほど報道されなかった。 トヨタ(あるいはその意を受けた代理店)がマスコミによる報道をすべてシャットアウトしたのである。 すべては「日本グランプリは大成功」といった報道ばかりであった。 トヨタの情報統制の手腕はまことに見事なものであった(皮肉)。
だが、昔と違って現在はインターネットによって事実はおのずと知れ渡る。 失態を糊塗しようとしたトヨタ(あるいはその意を受けた代理店)の行動は多くのモータースポーツファンの怒りをかい、全く逆効果となった。 F1日本グランプリに関してはトヨタに信を置いている人間など、日本にはもう一人もいないであろう。(マスコミの報道を鵜呑みにする人たちを除く)
私が怒りを禁じえないのは、一般ユーザーやモータースポーツファンを軽視したトヨタの姿勢である。 去年の失敗はトヨタ本体のせいではなく、あくまでその意を受けた代理店に責があると、きっとトヨタ関係者は言うだろう。 自分達はカネを出しただけで後のことは知らんと...
だが、その姿勢こそが間違っているのだ。 自分達はクルマを作って売ればよい。 たかが冠モノのイベントはカネだけ準備するから、息のかかったイベント屋に任せて仕切らせればよいというのは、あまりにも無責任ではないか? そんなことのために、トヨタはホンダと日本のモータースポーツファンから日本グランプリを奪ったのか? 他人から大事なものを取り上げておもちゃにして平気なのか? イベント屋などに他人任せにするのではなく、どうして自分達自らが責任を負い額に汗して日本グランプリを成功させようと努力しないのか?
考えるに、日本のモーターファンとホンダが共に大事にしてきた日本グランプリを取り上げてテキトーにイベントをこしらえ、自分のものにしようとした時点で、トヨタ主催の日本グランプリが失敗するという結果は見えていたのではないか? 世界有数の自動車企業として自動車文化を大事にし、その一環としてモータースポーツイベントをゼロから大事に育て上げるというのではなく、他人のものを奪ってマスコミを使ってあたかも自分のもののように宣伝させ、見せ掛けだけ取り繕えばよいと考えるのは、なんという貧しい精神性だろう。 あまりにも無神経でさもしい根性だ。
トヨタは自動車を製作する会社としては今後も利益を上げ続けるだろう。 私はトヨタの作るクルマには、ハードウェアとして信頼を置いている。 トヨタでは私の同期の複数の友人もエンジニアとして働いている。 彼らは真摯に仕事に取り組み良い製品を作るために日々努力している。 私は彼らの技術者としての誠実さや能力を疑ったことは一度もない。 だが、いくら製品が良くても、企業としてのトヨタが上記のようなことをしている限り、絶対に人々から尊敬を得られることはないだろう。
モータースポーツに限らず、大勢の人が参加し喜びや期待、そして無念といった感情を共有する場としてのイベントは、単にスポンサーだけのものでは断じてない。 そしてそれはカネさえだせばすぐに手に入るものでもないのだ。
私の残された願いはトヨタの主宰する今年の日本グランプリで、富士スピードウェイの観客がホンダのマシンに声援を送ることである。 そしてホンダのマシンがトヨタのマシンをはるかに凌駕してゴールし、富士のポールに日の丸を揚げることである。 私達はそうやって、尊敬はカネでは買えないこと、志なくして共感を呼ぶイベントはできないこと、そしてトヨタほどの企業であれば社会的に果たすべき責任はきわめて大きいことを訴え続けるべきである。 トヨタがそれを理解できる日まで根気よく自分達の意思を示し続けるべきだと思うのだ。 なぜならまぎれもなくトヨタは日本を代表する会社だからである。 期待するものが大きくて当然だ。
さて、2003年から2005年にかけて、私は新興市場(ジャスダック、マザーズ、ヘラクレス)をトレードしていました。 そして当時は個人投資家向きの雑誌や書籍を時々読んでいました。 さらにカリスマ個人投資家(?)のブログなどもよく見ていました。
なぜなら、これらの媒体に教唆させられた個人投資家の売買動向が、これらの新興株式市場を動かすと思ったからです。 また、その頃はそういった個人投資家相手に上手く立ち回ろうとする一種の仕手筋(?)が存在しました。 私は彼らの動向を把握するために、ティックデータを用いて、それらの連中の動きを解析していました。 こういった分析は実を結ぶこともあれば、そうでないこともありましたが、私にとってトレードを行なう上において不可欠のものでした。
さて、個人投資家の売買がいくら活発になったからと言っても、主な市場はほとんどの場合海外勢も含めた機関投資家の動向によって動かされています。 従って、彼らの運用について知ることは本来個人投資家にとっても有益なはずなのです。
ところで、投資手法に関しては、なにやら単純なものほど良いという考え方が巷にあるようです。 損する人は難しいことをしようとするから損するのであって、実際には単純で簡単に儲けることができる、カリスマ投資家は皆そうして大儲けしていると言う主張です。 大きな誤解です。
ここで「裸の王様」を題材に取り上げて、以前のエントリー↓「否定の否定」に書いたことを再掲します。
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2007_07_post_98.html
---------------------------------------
哲学者の三浦つとむ氏によれば、王様が裸であると指摘できるのは、「何も知らない子供」か「何もかもわかっている賢者」かのどちらかである。 その間にいる中途半端なインテリや一般の人々は、さまざまなしがらみや先入観に縛られて王様が裸であることを指摘することができない。
だが、何も知らないがゆえに指摘が可能な子供と、すべてを理解した上で指摘をおこなう賢者では本質的に大きな違いがある。 なぜなら、似たような局面で、子供は多少のカモフラージュで簡単にだまされてしまうが、賢者は常に真実を見抜いてそれを指摘することが出来るからだ。
だから、一般的にいって、参照する情報を絞り込むことは必要なことであるが、「何も知らない」「情報を得ない」ことは、必ずしも優れたスタンスを意味しない。 そして何も知らない子供が成長するためには、いったんは「王様の裸を指摘できない」一般の大人の過程を経て、さらにすべてを知る賢者へと至る必要がある。 これが唯物論的弁証法における「否定の否定」の原則である。
初心者がトレードを始めると、最初は何をどうしてよいかわからないから、卑近な現象や知識をもとに売買をおこなう。 そして、もし最初の入口さえ間違えなければ、結果的にこれが重要な情報だけを見ていることになって、案外簡単に結果が出たりする。 だが、少し知識がついてきて、いろいろなことを試すようになると、こんどは混乱してきてトレードはめちゃくちゃになる。 「情報は多ければ多いほど良い」という誤謬に引っかかったのだ。 そして、見識のある人たちは、それぞれパスはことなるものの、苦労を重ねて次第に情報を絞り込むようになる。 そこに至った段階では、利用している情報の種類は初心者と大差ないけれど、それに対する理解度や信頼が本質的に異なっている。 これでトレードにおける「否定の否定」のプロセスが完成することになる。
---------------------------------------
ここに書いたように、様々なことを理解・把握した上で結論として物事を単純化するは賢人のやることです。 しかし、最初から必要なリサーチや努力を放棄した上で「真実は単純なのだ」とウソぶくのは、賢人のフリをした単なるバカのすることです。
私の以前の同僚にまさにこのように言っていた御仁がいました。 彼は単純なトレードシステム(?)を使って意気込んでトレードをしようとしましたが、何年もついにまったく勝てませんでした。 能力がないのに努力をすることもせず、しかしプライドだけ高かった彼は、そうやって必要な行動から逃げていたのです。 そして損をするたびに、それをマーケットのせいにして珍妙な言い訳を繰り返していました。 しかし反省して努力するということは絶対にしなかったのです。(続く)
ひさびさに激しく笑いました。↓ (びびりおんさんのエントリー)
http://bibirion.enjyuku-blog.com/archives/2008_10_3.html
私も練習しておきます。 (^ ^)b
先日の秋山さんのセミナーで、たまたま慶応の関戸君にあって話す機会があった。 そういえば彼からコメントをもらっていたのでここに返信します。
>大学では金融工学を勉強していますが、大学の授業等ではこういった話は全く出てきていないので、完全に盲点でした。
大学で教えられていることというのは、実務の世界からはどの分野であれ常に何年か遅れるものなのです。 それに金融工学はもともと「相場で利益を上げるための技術」とはあまり関係のないものです。 さらに、相場で利益を上げられる人は、よほどの暇人でもない限り大学で教えたりしません(^^;)。
正直に言うと、私は個人的には学生のうちから相場に興味を持ことは必ずしも良いことだとは思っていません。 学生のうちはもっと普遍的に通用する技術や知識を習得し、基礎的な演習を重ねるべきだと思っています。 その意味では大学ではあくまでデフォルメされた机上の理論しか学べないというのは、逆に歓迎すべきことなのです。
まあ私の個人的な意見はともかく、相場の技術は大学以外のところで学ばなければいけません。 ですが、大学で学んでいることが無駄になるわけでもないのです。 むしろ、それらを学んだことで、今後自力で様々なリサーチを行なえる技術の初歩が身についたのですから良いことだと思います。
私が常々感じていることですが、個人投資家向きの書籍や雑誌等には、決定的な欠陥があります。 それは相手のことをあまり知ろうとしていないことです。 そこにあるのは次のような仮定です。 「このシステムさえあれば...、この売買手法を使えば...、このツールを使って...、精神力を鍛えれば...、マネーマネージメントを工夫すれば... → 儲けることができる。」 これらの主張はすべて「こちら側」の論理、理屈なのです。 「向こう側」のマーケットの事情を理解しようとする姿勢ではないのです。
「自分の方さえ完璧であれば → 儲けることができる。」という考え方は、「自分が好きだから → 向こうも自分に関心があるに違いない」と信じて疑わないアイドルの追っかけの人が陥る誤解に似ています。 それはほとんどストーカーの理屈です。
そこまで極端でなくても、スポーツや格闘技の試合において、私達は相手のことを全く調べずに戦いに臨むでしょうか? 「自分には○○という得意技があるから必ず勝てるのだ...」と言って、素の状態のままでよしとするのはある種の傲慢です。
私は以前に、次のエントリー↓で、他人と違う考え方をすることに重要性について書きました。 そこで言いたかったことはいくつかありますが、そのひとつは、「相手のことを良く調べれば攻略は容易になる」ということです。
<異なったゲームをするということ>
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2007_11_post_144.html
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2007_11_post_145.html
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2007_11_post_146.html
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2007_11_post_147.html
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2007_11_post_148.html
大学入試などという一般的なことにおいても、「一生懸命勉強すれば...、この問題集をやり遂げれば...、模擬試験でこのレベルに到達していれば...、この学習法でやれば...、この進学塾に行けば... → きっと合格する」などという奇妙な論理を振りかざす向きがいまだにあります。 だが、これはすべて「こちら側」のことであり、「向こう側」はそんなことは知ったことではないのです。
そこでなにより重要なのは「向こう側」である大学側の入試に関する意図を読み取り、正しくそれに応えることなのです。 それができれば、最小の労力で目的を達成できるのです。 ですが、なぜかほとんどの学習法はそういう建てつけになっていないのです。 上記にあるようなある種の独善的な思い込みがそこにあるのではないでしょうか? あるいは、そういった 「向こう側」の事情の分析をする必要性を感じていないのでしょう。
個人投資家向けに流布している書籍や雑誌、商材(?)においても、私はこれらと全く同じ構造が成り立っていると思っています。 関戸君が「「誰がどのようなもくろみを持って市場に参加しているのか?」を知ることが重要ということなのでしょうか?」と書いたように、こちら側の技術や知識を向上させるだけではなく、誰が(あるいは何が)そのマーケットをドライブしているのかを知ることは、相場に不可欠な要素なのです。 (続く)
しばらく前からなんだけれど、どこでそんな勘違いをしたのかわからないのだけれど、私のところにバリュー投資で有名(?)な某カリスマ投資家あての質問やらクレーム(>_<)が送られてくるようになった。 どうやら彼と私が同一人物だと思っているらしい。
あのー、人違いですから(^^;)。 赤の他人です。
私はその方と面識はまったくありませんし、間違ってきた書き込みなどは速攻で削除していますので、御本人に届いていません。 私にいろいろ送っていただいても困ってしまいますので、何か聞きたい方は直接ご本人に宛ててメールや書き込みを行ってくださいな。 <(_ _)>
しかし、書いているものを読めば、内容も文体も全く違うし、容貌だって似ても似つかないのになんで間違えるんだろう(笑)。 誰かが根も葉もないうわさでも流しているんだろうか?(>_<)
「三菱UFJ証券が米大手証券モルガン・スタンレー日本法人と経営統合の検討に入ることが3日、明らかになった。」んだって!(@_@)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081003AT2C0300A03102008.html
...味噌汁とコーヒーを混ぜてどうするつもりなんだろう???(^^;)
米軍が治安維持のため(?)に米国内に配備されるという報道があった。 下記↓のURLのニュースを見ていただきたい。 急にこんなことになるとは極めて奇妙なことだ。
http://www.armytimes.com/news/2008/09/army_homeland_090708w/
まあ、それに関しては、いろいろな記事で解説がなされているので、ここで私などがあれこれ書くまでもないだろう。
ところで、私がちょっと興味を引いたのはここに書いてある” the first ever nonlethal package that the Army has fielded”だ。 イラクで使用された機器を組み合わせて開発された装備で、暴動鎮圧に用いられるらしいが、ホントにnonlethalなんだろうか? いちおう” The package is for use only in war-zone operations, not for any domestic purpose.”と報じられているけれど、それを使える部隊を国内配備するっていったい...。 スターク・エンタープライズ社製とか...(^^;)。
ある個人投資家で証券会社の営業マンをしている人の話。 ちなみに証券マンの株式投資はインサイダー情報などに基づいたものはもちろん禁止だが、それ以外のものは一定期間のロックアップを前提にすれば、所定の手続きを取ることで可能である。 で、このオッサンは自分の資金で株式投資をしているのである。 以前には資源エネルギー相場で一儲けしたこともあったらしい。
だが、その味が忘れられないのかいまでも資源エネルギーシナリオにご執心で、ずっとポジションを投げないのである。 どれだけ下がっても自分の都合の良い情報だけを念仏のように唱えて自分を勇気付けて(?)いるのだ。 私は彼がいつ正気を失うかと思ってしばらく前から観察しているのだが、なかなか気が狂わないのである。 これまで株式投資で損をして気が狂った人を私は何人か見てきたが、このオッサンは虎の子の何千万円かを飛ばしたというのにいまだに元気である。
ここで彼の例を出したのは、揶揄するためではない。 むしろその反対である。 彼がなぜ気が狂わないのかというと、それは自分だけで判断し自分で行動しているからである。 このオッサンは証券マンのくせに金融関係の知識はほとんどないし言うこともデタラメで、人のいうことは全然聞かないとんでもないオヤジである。 だが、いかにメチャクチャな論理に基づこうと、彼は判断を自分でおこなっており、他人を頼りにしてはいないのである。 従って、相場でいかなる結果がでようと全ては自分の責任だという原則だけは理解している。(だから儲かったときは大声で自慢し、損すると「我慢している」と自慢している。(笑))
それゆえにこのオッサンは損してもずっと正気を保っていられるのである。 これが相場で他人を頼った結果の大損であれば、正気ではいられないであろう。 このところ私がいつも巡回している投資関係のサイトやブログを見ていると、ずいぶん荒れているなあという印象を受ける。 そしてそのほとんど全てが、自分が損したことをブログ主のせいにして糾弾するというものなのだ。 また、友人の南部孝三郎氏から聴いた話だが、証券会社のコールセンターなどはいま大変なことになっているらしい、個人投資家がかった個別株や投信が値下がりしてそのクレームが殺到しているのだそうだ。 なんだかなあ~。 儲かったときは自分が正しかったおかげで損したときは他人のせいかい?(>_<)
最初に例に出したオッサンは、もし今回の波乱でも生き延びることができれば、またいつか大もうけできるチャンスも訪れるだろう。 たとえ彼の分析や知識がデタラメなものだったとしてもだ。 だが、今損していることを他人のせいにしている人は、いつまで経っても儲けることなどできないのではないか? 大事なカネのかかっている分析や判断を他人に頼るのは止めたらどうだろう?
証券の営業マンは売買注文をとるのが仕事、トレード本の出版社は本を売るのが仕事、投資雑誌の発行者はあの手この手で個人投資家の売買をあおるのが仕事、そして商材屋は商材を売るのが仕事である。 彼らはもともと個人投資家の味方でもなければ助言者でもない。 それぞれ自分たちの利益を最大化するように行動して当然なのだ。 これは、大相撲が神事でも真剣勝負の格闘技でもなく、商業的な興行のひとつであること、従って利益を上げることを目的に行動するのとまったく同じである。 犬が西向きゃ尾は東だ。 それくらい自明のことである。
だから情報を他人に頼るのも、ましてやそれを鵜呑みにして売買するのも、そして損したからといってクレームをつけるのも全部間違いなのだ。 これらの媒体や流布している情報は、全部ウソだとまでは思わなくてもいいだろうが、少なくとも疑ってかかるべきではないか? すぐに信じる前に、彼らの真の目的を考えてみた方がいいのではないか? 彼らが個人投資家である私たちを儲けさせなければいけない理由などどこにもないのだ。 味方でもない人間の言をうかつに信用しないほうがよい。
むしろそれらのものは単なる冗談かエンターテイメントの一種だと思うぐらいでちょうど良いのである(その割にはあんまり面白くないけど(^^;))。 そうでなければ、自分の手で独自に分析・判断し投資行動をするのでなければ、そして損益の行方を他人のいい加減な気まぐれに任せていれば、いつかは大損して気が狂うことになりかねない。 大損して気が狂った人の末路はとても痛々しい(泣)。
赤の他人のいい加減な言に従ったせいでキチガイになるくらいなら、冒頭の例に出したオッサンのように、誰にも評価されないけれどわが道を行って好きなように吠えているほうがよほど健康的ではないか? 少なくとも彼はバカにされてはいるが今もって自尊心は失っていない。 カネはなくても元気があればいくらでもやり直せる。 南部氏からきいた話やネット上の掲示板やコメント欄の荒れ具合をみてそんなことを考えた。
「大麻所持容疑で逮捕され、8月に日本相撲協会を解雇された元幕内若ノ鵬(20)=本名ガグロエフ・ソスラン=が29日、都内で会見を開き「アンフェアな取組を強いられ、お金を渡された」と八百長を告発した。」という。↓ なんともはや...(>_<)
http://www.daily.co.jp/general/2008/09/30/0001495131.shtml
若ノ鵬の勘違いはいくつかあるが、そのうちのひとつは「大相撲において八百長はいけないこと、アンフェアなことである」としている点だ。 この誤解は若ノ鵬だけでなく少なからぬ日本人の間にも見られるようだ。 この件で八百長の存否は結局あいまいになると私は思うが、実は日本相撲協会にとっては八百長が明るみにでたところで本当は痛くもかゆくもないだろう。 なぜなら、大相撲における八百長は、全然アンフェアでもなんでもなく、半ば日本の大相撲ファン公認の事項だからだ。
若ノ鵬は大相撲をオリンピックのような公明正大(?)な競技か何かと勘違いしていたようだが、大相撲を他のスポーツを同一視するのはは大きな間違いである。 いまだにこんな勘違いをしている人がいること自体、私達の国民性がいろいろな意味でナイーブであることの証拠であると思うが、今回の件は報道のされ方に恣意性を感じるので、以前にも書いた話ではあるがもう一度書くことにする。
Wikipediaによると、大相撲とは「日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な最高位の力士たちによって行われる神事や武道、または商業的な相撲興行であり及びその母体となる力士・関係者の集団・社会を指す。」 とある。 ここで私が強調したいのは、大相撲は「神事や武道」である以前に「商業的な興行」であるということである。
大相撲が「商業的な興行」である以上、日本相撲協会としては興行の成功を最優先に考えるのは当然のことなのである。 その意味ではプロレスやサーカスといった他の興行となんら変わらない。 だから、注目を集める上位の取り組みであればあるほど、クリティカルなケースでは事前にシナリオができているのは当たり前ではないか? よりよいシナリオを作ることでお客さんが喜び、興行が成功すること、それが日本相撲協会のやるべきことのひとつである。 それを理解したうえで大相撲を楽しむのが大人のファンというものだ。
ただ、あまりにも全部が筋書き通りにやっているとしらけるので、あくまでそれを演じるのは身体や技を鍛えあげた力士に限られるのである。 お客さんに楽しんでもらうためには、アクション映画と同じく、ウソをウソと見せないことが大切である。 そのためのプロである。 それができてこそプロなのである。
俳優や役者が演じる映画や劇と同じく、素人ではまねのできない身体や技を持った男達が土俵上でみせるパフォーマンスを楽しむのが大相撲である。 大相撲ファンの肥えた目を以てしても、優れた立会いであったとうならせるだけの「演技、芸」ができるのが一流の力士である。 そのために彼らは大変な努力しているのである。 それを八百長という言葉で斬って捨てるのは、ある意味で失礼ではないか?
大相撲において、発祥時はともかく現代においては「神事や武道」といった要素は歴史的な経緯からついた体裁にすぎないが、その意味では他の興行と比べて大相撲は昔から有利な位置にあった。 だが、それでもあくまで商業的な興行であるということは、大相撲ファンやマスコミはとっくに承知のはずであった。
そういった観点から言えば、このニュースをマスコミがしたり顔で流すというのもまた笑止である。 元幕内若ノ鵬が「八百長を強要された」というから一部のマスコミが面白がってニュースにしたのであるが、それが本来ニュースとしての価値などないことぐらい、マスコミ人ならばわかっているはずではないか? 考えてもみてもらいたい、これがもし時代劇(例えば水戸黄門)の斬られ役の役者が、「殺陣の立ち回りで、水戸黄門に杖で叩き伏せられるように事前に言われた。これは八百長だ。オレが真剣で斬りかかったらあんなジジイなどあっという間にホントは倒せるのに...アンフェアーだ!」とわめいたら誰が話を聞くだろうか? 若ノ鵬の会見も実体はそれとおなじことなのだ。
そしてもうひとつ、八百長騒動をあおって問題視する向きに言いたいが、大相撲を真剣勝負の格闘技であるかのように捉えることは奇妙だと思わないだろうか? 大相撲は年間6場所、各15日間、計90日ある。 それ以外にも地方巡業や海外公演などもあるのだ。 それら全てが「真剣勝負」だなどと本気で思っているのだろうか? 総合格闘技のK1やPRIDEを観ればわかるとおり、プロの格闘家が真剣に戦える試合など、数ヶ月に1回のペースでしか組めないのである。 そうでなくては身体がもたないのだ。 であるならば、年がら年中やっている「真剣勝負」などはじめからあるわけがないことぐらい、子供でもわかりそうなものではないか?
もし本当に大相撲の取り組み全てに真剣勝負を持ちこんだら、いくら力士が身体を鍛えているからと言っても怪我人続出でまともな興行など成立しえなくなる。 だから、できる限りけが人がでないよう、円滑に問題なく興行が打てるように日本相撲協会や親方衆が陰に日に取り組みをコントロールするのである。 それは世間の言葉では「八百長」であるかもしれないが、組織を成り立たせるために必要な行為であり、アンフェアーであるというよりもむしろ責任ある立場の人なら当然の行為である。 若ノ鵬が要求するようなクリーンな(?)な取り組みなどは聞こえはいいが、それは芸人のプロが口にする言葉ではない。 いやしくも「日本古来の奉納相撲を起源」とする伝統芸能である以上、大相撲においてはずさんな経営をおこなって事業の継続が危ぶまれるような無責任なことをすべきではないのである。
今回の八百長騒動は、①「力士、つまり興行におけるプロの芸人としてまったく未熟であった若ノ鵬」、②「大相撲があくまで商業的な興行であると知りながら、そ知らぬふりを装って報道する知的怠惰なマスコミ」、そして③「年間100回も真剣勝負ができるなどという妄想を根拠に、正義漢ぶったエセ大相撲ファン」の合作による茶番だと私は霊視している。 日本相撲協会はさぞかし困惑していることだろう(^^;)。
山崎氏のコラムでもうひとつ個人的に面白かったのはここのくだり↓。
<引用ここから>------------
余談だが、年金運用のコンサルタントの運用会社に対するヒアリングなどに立ち会い、半可通のコンサルタントが運用の仕組みを根掘り葉掘り聞いた後で「この方法は他社にも真似できるのではないか。御社の独自性はどの部分にあるのか」などと質問するのを聞いて、「ろくに分かっていないくせに、質問だけは面倒だな」などと可笑しく思ったことがあったが、こういう相手にももっともらしく受け答えしなければならないのが年金運用の商売だ。手続きに納得すれば、どこかの運用機関を選んで推薦してくれるのだから、丁重に扱うに限る。
-----------------<引用ここまで>
この手のコンサルタントの質問にはかなりの高い割合で頓珍漢なものが混じっている(そうでない場合ももちろんある)ことがあって、実際に回答者側の失笑をかっている。 わけのわからない質問をされた場合には、思わず「お前本当はなにもわかってないだろ!自分は素人だと白状しちまえよ。」という言葉がのどまで出掛かるが、皆ぐっと我慢して当たり障りのない返事をしているのである。 ファンドの評価はかなりの部分はこうしてなされているのである。 合掌!(*-人-)

もう2ヶ月も前(7月19日)のことになるが、当時ブラジル株式に対する投資熱が個人投資家の方の間に存在した(もしくはそうなるように誰かに仕向けられた)ことに対し、私はブラジル株式投資、特にボベスパ指数連動型(もしくはベンチマーク)の投資にはクセのある固有のリスクが存在すること、ブラジルにおいては株式投資は運用の手段としてはマイナーであること、そしてブラジル経済の未来が明るいことを所与として場合でも、ソブリン債券他の投資手段も考慮すべきことを書いた。↓
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2008_07_post_297.html
しばらくして(8月2日)、国内でブラジル株式の投信が次々と組成され、個人投資家が買い捲るのを見て、それがあまりに極端な投資行動であるのにいつもながら驚き、そして、「もしこれから世界的に不況になるのならば、当然ラテンアメリカ諸国だってその影響を受けるだろうし、それに、ブラジルの経済について明るい見通しを仮に持っているならば、(中略)株式よりもむしろ債券のほうがいいのではないかな?(中略)少なくともこのタイミングでは株式よりもリスク・リワードは良好だ~」と書いた。↓
http://kenzo.enjyuku-blog.com/archives/2008_08_post_311.html
さてその後、ブラジル株式とブラジル債券のパフォーマンスがどうなったか振り返ってみよう。 ブルームバーグを叩けばインデックスの推移は出てくるのだが、個人投資家の投資できる対象で比較しなくては意味がないから、ここではUBSが出している次の2つの投信で比較することにした。(データはヤフーファイナンスから落とした。)
UBSブラジル株式ファンド(ユニバース:ボベスパ指数採用銘柄)
UBSブラジル・レアル債券投信(年2回決算型)
この2ヶ月あまりのパフォーマンスは添付の図の通り(^^;)。 7月17日の基準価額を10000にして9月19日までのデータで比較してある。(この間、両者とも分配はなかったので、分配落ちの修正の必要はナシ)
もう少し、パフォーマンスが拮抗していたら、いろいろな分析をするつもりだったけれど、これだけ差があっては一目瞭然なので、どっちが良かったかは誰でもわかるだろう。
UBSブラジル株式ファンドは▲38.1%、UBSブラジル・レアル債券投信は▲16.3%だ。 債券型のほうは、現状の金利を考慮すると為替レートに変化がない場合なら、いずれ当初の基準価額を回復する可能性が高いけれども、株式型の方はどうなんでしょうか? 1ヶ月でもとに戻るかもしれないし、10年経ってももとに戻らないかもしれないですね(>_<)。
...ってことは、逆バリ投資家なら、今こそ買い出動すべき大底か?(笑)
なお、UBSの名誉のために書いておくと、基準価額が下がっていることそのものは彼らの責任ではない可能性が高い。 彼らはあくまで対ベンチマークでのパフォーマンスにおいてのみ責任を負うのであって、今回のようにベンチマークが下落している場合には、その差分のみが問題とされるからだ。 私はこれらファンドの目論見書を読んでいないので詳しくはわからないが、まともなファンドであれば、きちんとベンチマークが記されているはずであるし、建前からいうと、投資家はそれを読んで理解したうえで投資したはずだからだ。
だがもし万一、目論見書にそういったベンチマークの記載がないのであれば、受益者をミスリードしたと言われてもしかたがないし、下落幅すべてについて運用者の責を問われることになりかねない。 UBSがそんな間抜けなことするはずがないとは思うけれど...(^^;)
いずれにせよ、つい先日大挙してブラジル株式ファンドを買った人たちは、今何を思うでしょう?
農水省の白須敏朗次官が更迭されたのに引き続き太田誠―農相がやっと辞めることにしたらしい。↓
http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091902000283.html
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080919AT3S1900V19092008.html
事故米の件といい、事務所費用の着服の件といい、この太田誠―農相の言動はこのところずっと見苦しかったが、これで少しはスッキリしたのかな(^^;)。 彼のこのバ力さは意図的に装ってやっているのではなくて、素なんじゃないかと霊視!(>_<)。 でもこの方、KO大学の大学院を出てて、セージ家になる前は九州の大学などで教えていたんだね。 学校のセンセイが国会のセンセイになったのか。 なんだかなあ...
リーマンブラザーズの破綻がダメ押しになって、このところ全世界的に株式市場が下落に見舞われている。 特に今回はロシアやブラジルなど、エマージング諸国の下げが酷いようで、これらの国に投資している人は気が気ではないだろう。
さて、リーマンやAIG関連のエクスポージャーに関しては、国内の機関投資家も少なからぬ量の損失がこれから明らかになってくると思うんだが、こんなのんきなことを言っている人もいるようだ。↓
「与謝野馨経済財政担当相は米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻に関して「日本にももちろん影響はあるが、ハチが刺した程度。これで日本の金融機関が痛むことは絶対にない。」と述べ、日本経済への影響は限定的との見方を示した。」
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080917AT3S1700N17092008.html
まるで桃源郷の住人のような発言だけど、誰かなんとかしてくれませんか?(^^;)。 与謝野氏が本気でそう考えているわけではないだろうないが、すぐに嘘だとわかる嘘はつかないほうがいいと思うけどね。 何十年も前の、海外の情報あるいは国内でも重要な情報が管理・統制されていた時代と違って、いまはある程度までは迅速に事実が伝わるのだから、大臣一人がそ知らぬふりをしてウソぶいたって何の鎮静効果もありゃあしないよ。 かえってバカにされるだけだ。 与謝野氏ほどの政治家でも、歳を取ってくると、こういった社会の変化には疎いとみえる(>_<)。
AIGは米国政府から資金が出ることになったようで助かる見込みだ。 これで当面は株式市場は一息入れることができるのだろうか? 株式トレーダーだけじゃなくて、商品先物専門でやっているトレーダーにとっても、AIGの行方は目が話せない。 たとえばFinancial Timesに下記のような記事が出ていた。↓
“In the commodities market, traders said investors were pulling out money from notes and swaps linked to the DJ-AIG commodities index, which AIG co-sponsors… “
これはどういうことかというと、代表的な商品指数のひとつであるDJ-AIG commodities indexのスポンサーであるAIGがヤバイので、投資家がDJ-AIG commodities indexに投資していた資金を引き上げているということなのだ。(@_@)
これら商品指数に投資されている資金は全て「買い持ち」だから、アンワインドの動きは当然にして、指数を構成する商品先物価格の下落圧力となって現れることになる。 これまで「買い」しかやらなかった連中、しかもゆっくり長い時間をかけて買ってきた資金が、一気に「売り」に向かっているのだから、短期的にはどんどん下がっても不思議じゃないよね? ついでにゴールドマンが原油価格の見通しを、115ドルに引き下げたらしいしね。 あっ、これはあまり関係ないか。 このネタは機会があればいつか書くかも(^^;)。
もちろん、念のために書いておくと、同じDJ-AIG commodities indexに投資している資金でも直接先物を構成ウエイトどおり買っている場合や、リンクノート、トータルリターンスワップを組んでいても、カウンターパーティがAIG関連企業でない場合(そんなことあるのか?)なら、AIGがヤバイからと言ってもアンワインドする必要はまったくない。
だけれども、こうやってニュースになるくらいだから、カナリの量の資金が、AIG関連企業をカウンターパーティとして、リンクノートを買ったり、スワップ契約を結んだりしていたんじゃないかな。 ちなみに、DJ-AIG commodities indexは分散された指数だけれど、ざっと見ると、他の商品指数と比べるとメタルのウエイトが高いように見えるね。
ところで、私はあまり詳しくないからわからないけれど、日本の投信でもDJ-AIG commodities indexのコモディティファンドで直接投資でないものがあるなら、継続するにせよ解約するにせよ投資家は事実を把握してきちんと対処した方がいいかもしれないね。 投資は目論見書をよく読んで自己責任で(笑)。
リーマンブラザーズがついに破綻してしまいました...
リーマンの思い出といば、今を去ること20年前、私は大学4年生のときにシェアソン・リーマン・ハットンの会社説明会に行ったことがあります。
そのとき、数十人の学生の前で脂ギッシュなリーマンの重役はこういい放ちました。
「ウチは狼は生きろ!ブタは死ねという方針でやっている。」
...(^^;)
私はそのとき大学の同期の友人(空手部)と一緒にその話を聞いていたのですが、「ヒョェー、こんなところでは甘ちゃんのオレはとても務まらんな。 もっ、もう少しおとなしい雰囲気の会社に入ろう(>_<)」と内心思ったものでした。
一緒にいた友人も同じ思いだったらしく、彼は野村證券(@_@)へ入社して立派に活躍しています。
私は、もう少しおとなしい雰囲気だと思った別のアメリカの銀行へ入社しました(入ってからそこも実はリーマンとあんまり変わらないとわかったが...(泣))。
それにしても、20年前に私が聞いた掟を、リーマンは自ら実践してしまうとは...
感慨深いものがあります。
まだ身売り先が決定していないのか...
まあ、これが解決しても、その後はワシントン・ミューチュアル以下、次々と比較的小ぶりの金融機関の問題が控えている。
もし、リーマンをつぶしてもかまわないなんてことになったら、こいつらも助けないだろうな(^^;)
でも逆に、リーマンが助かったらといって、小さいところも助かるとは限らないし...
リーマンに関する状況が注目を集めている。
つぶれるんじゃないかという人もいて、債券の発行体としてのリーマンとしてだけではなく、ブローカーとしてのリーマンとの取引を控えるところも日本で急増している(>_<)。
...って、ことはここら辺りが大底か?(笑)
北朝鮮の金正日総書記が先日の建国60年の行事に欠席したことに端を発して、彼が脳卒中または脳溢血にかかったのではないかという推測がなされている。↓ 恒例の軍事パレードも中止になった。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080910-OYT1T00603.htm?from=navr
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200809100026.html
http://www.chosunonline.com/article/20080910000020
だが、私が少し奇妙に感じるのは、もし重病で本人が出られないくらいで、なぜ軍事パレードを中止して、世界中の疑念を誘うような危険を招いたのかということだ。
なぜなら、たとえ本人でなくても、影武者に代わりをさせることくらい容易なことではなかったろうか? そのために、この日のために、影武者は用意されているのである。
重病説が流布されることを承知で、あえてそういう手を使わなかったのであれば、何かどうしてもそうできない事情があるか、もしくは逆に意図的に「重病説」、「北朝鮮の体制危機説」を流布したい意図があったのではないか? どちらにしても、きな臭いことである。
中部電力が日立を提訴すると言う↓
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008091002000315.html
なんでも中部電力浜岡原発5号機のタービン(日立が製造した)が破損し、約9カ月間の運転停止を強いられていたことで、燃料費が割高な火力発電所を代替運転してコストがかさんだ損害賠償請求だとか。
公的な企業としては当然のことだ。 むしろ、いままで類似のケースにおいて馴れ合いのまま、電気利用者にツケを払わせたいたことのほうがおかしいのではないか?
原子力で日立と言えば、思い起こされるのが東京電力福島第1原子力発電所4号炉の圧力容器の事件である。 原子炉本体を格納する圧力容器は巨大な細長い卵のような形をしていて、断面は円でなくてはならないが、日立がこしらえた件の圧力容器はなぜか、できてみると断面が楕円になっていた(>_<)。
新しく作るのも時間とカネがかかるってんで、しかたがないから熱を加えて無理やりジャッキで真円に近づくように「ぐぃっ」とやって直してしまったのだ(^^;)。 もちろん、厚さ10センチ以上もある鉄でできている構造物が、何度も熱にさらされて元々の強度を保っているはずがないんだが、当時はそれでOKってことにされたらしい。 東京電力も表向きにはクレームはつけていないし、「大丈夫だ」と言っているそうな。
当然、表向きは机上の計算によって必要な強度を満たしているという結論を出したのだが、当時から時間も経っているし、本当のことは誰にもわからない。 ちなみに、圧力容器は原子炉の深刻な事故のときは、放射能を外部に出さないための最初の楯といってもよいこともあって、本来頑丈に作られていなければならないし、強度が落ちているせいで、あるいは強度の劣化が速いせいで、それが原因で二次的な事故につながる可能性がないともいえない。、
あっ、念のために書いておくと、これは大丈夫かもしれないし大丈夫でないかもしれない、それはわからないという程度の話なので、必要以上に懸念されませんよう。 実際に強度が十分なら何の問題もありません。 あと、この話は秘密でもなんでもなくて、一般に知られていることなので、風説の流布とかじゃありませんから(笑)。
第二次世界大戦後、ニュルンベルク裁判において連合国はナチス・ドイツの戦争犯罪を裁き、徹底的にその罪を追求した。 なかでもユダヤ人に対するホロコーストに関しては最も憎むべき犯罪であるとして断じたのである。
もちろん、無抵抗の非戦闘員に対する大量虐殺が憎むべき行為であることに私も全く異存はない。 その意味では東京大空襲も、広島、長崎に対する原子爆弾の投下も同様に憎むべき行為である。 だが、連合国がドイツの行なった行為をこれほどまでに憎むのは、単にそれが「間違った行為である」というだけではあるまい。
裁判において、連合国が善で枢軸国が悪であるとして話を進めるのは連合国側の偽善である。 ドイツ人は戦争犯罪を行うがイギリス人は戦争犯罪を行わないということなどありえない。 そんな一方的なモノの見方は非現実的なキレイゴトであると、連合国の人間ももちろん理解していた。 そして立場が変われば、連合国側の人間もまったく同じことする(した)ということも知っていた。 現に歴史をさかのぼってイギリスが植民地経営の際におこなったことを想起してみればよい。 彼らは決してキレイゴトは言えないはずだ。
彼らはホロコーストを行なったドイツ人に自分達の姿を見たのだと私は思っている。 ドイツ人は他民族に対し差別を行なうがイギリス人は差別を行なわないなどというのはウソであり偽善である。 イギリス人はドイツ人の犯罪に自分たちの中にある一番醜い部分を見せ付けられ、自分の中にも全く同じ人間性が存在することを感じたのだろう。
だが、戦争に勝った連合国の人間としてはその疑念を否定しなければいけなかった。 彼らは単なる歴史の偶然ではなく、「善なるもの」だから戦争に勝ったのだと思いたかったのだ。 だからこそ、やっきとなって自分自身を写す鏡であるナチス・ドイツの軍人を裁いたのだ。 彼らにとっての悪を裁くことで、彼らは自分達も同根であることを忘れようとしたのだ。
ニュルンベルク裁判においてドイツ人を、東京裁判において日本人を連合国が一方的に裁いた行為は、その全てが間違っているなどとは言わないが、問題が多かったのだと言わざるをえない。 そして、その背景にあるものは、「ヴェニスの商人」において、弾圧する側としてのキリスト教徒が、迫害される側としてのシャイロックを一方的に陥れ、彼の全てを奪った上でさらに非難することが当然であるとする感覚と同じものなのではないか?
映画「ヴェニスの商人」でシャイロックが最後までたった一人で闘うさまを観ながらそんなことを考えた。 アメリカ社会において、ユダヤ人と同じくマイノリティーであるイタリア移民のアル・パチーノが、この映画でシャイロックを演じたのは決して偶然ではあるまい。